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「静かな神」と「静かな痛み」そして「静かな喜び」




遠藤周作の「沈黙」は歴史小説でジャンルが違うので並べることも迷うところだが、沈黙は踏み絵で「あの人」(イエス)が語る描写があるようにイエスが「動」であるのに対して、イコノグラフの中の主やイエスは「静」である。遠藤の司祭に語りかける踏み絵というのは昭和の高度経済成長期の中の貧困でありながらも国に期待していた時代と合っていて、彼女の神に対しての「静」とは国に期待することよりも、自立を求める現代人らしく、21世紀らしいと私は判断した。ドナーやレシピエント、QOL、それらに対してどう向き合っていくのか、それには自発性が必要になるということである。その自発性とは自己啓発的に定番化することも出来ない。それは信仰に必要な自発性とも重なっているようだった。



踏み絵が語る、一緒に傷みを受けてくれていると語ってくれたことは、現代でも信者にとって理想のイエスの像なのかもしれない。


それに対してイコノグラフは、登場人物達が受ける痛みは静かであり、イエス自体に目に見えた語りかけや動きはほぼ無い。(声が出ないという障害を持つようになった光音はイエスらしき後姿を掴み、声が出るようになるが、その後ろ姿は本当にイエスかどうかは鏡月は定かにはしていない)前半は、真希という少女との思い出を通したイエス、中盤はマタイの福音書の13章の余韻を残しながら人々が動き、人々の愛や良心というような心が動いていく。



―――「耳があるものは聞きなさい」―――光音は植物状態になっている舞衣に生きたいのかどうか問いかける。自分の映る鏡像を通しながら、ガラス越しに映る他人であるはずの舞衣へのその語りかけは、偶然にも人の心の中にある主への問いかけへと繋がっていく。光音は舞衣の心へと問い、舞衣の心の中にある主へと問いかけたことになる。(物語後半で心にある主については語られている)洗礼を受けると定かにしていなかった彼女にとってそれは教えを守ったというよりも、偶然性、自発性の要素が強い。それでも既にこの物語はキリスト教とは限らない神という夢想や、イエスについて語り合ってはいる。それがどう根付いていくのか、物語の後半はその課題を見事に乗り越えていた。



洗礼を受けていない登場人物が割合を占めるこの作品は、キリスト教前のギリシャ哲学から21世紀の「現象学」(未開拓を含む)、キリスト教文化で育った文学達も鳥の巣の一部であるかのように摘み取り、それぞれ読者の立場によって見えるものを作り上げている。


私は長らくキリスト教には好意的ではなかったが、この登場人物達の弱さや自立の美しさを形成したのは見えない「静」でありながらも、人々に語り継がれるイエスだということには気づいた。長い歴史の中、私達の徳や善というものは古代ギリシャ神話や哲学、仏教やキリスト教の教えが混ざっている。その中のイエスがこの物語の中で光って見える。それが不思議と嫌な気分ではなく、暖かい気持ちになれた。後は作品の隠喩でもあるようにイエスは解放の存在だということに気がつかされていく。



この話は本当はとても悲しい始まりであり切ない。けれども、引き込まれるように読めてしまうのは鏡月の言葉の美しさでもあるが、この語り継がれるイエスは外せないというということなのかもしれない。重ならなくても、光音は辿りついた。始まりに過ぎないその着地。私にとってはハッピーエンドだった。


                                    担当より
                            

                                  

                                                                                                                       




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◎物語や哲学、宗教、それらを形にしたのなら、
第三者の経験や想像力に委ねるしかないことがあります。

小説の場合は、如何に読者に理解させるのかではなく、
如何に読者の想像力を引き出し、
自分の本をその人の経験の一部にさせるのかにかかっているのかと。

私はそう思う。


When a story, philosophy or religion is formed, depending upon one’s experience and imagination skill may be the only thing left.

In case of a novel, the most important thing is not to let readers understand about the story, but to let readers experience the story as a part of one’s life by kindling one’s imagination.

I think so.


とりあえず、

 (Click!) 

こちらにネタバレ含む内容を散らばせています。